【茨城県の言い伝え】民話・伝説

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【概要】

町には、先人によって何百年も前からの生活の営みの中で培われてきた、心をうつ伝説や昔話がたくさんあります。

温かい人情の中で生まれてきた祭事にまつわる話、それぞれの地区にひっそりと語り継がれた物語など多くの昔話があります。

阿見町文化財研究調査会民話研究班の調査により、2000年に『阿見の昔ばなし』が刊行されました。

阿見の昔ばなし その1

阿見の昔ばなし その2

阿見の昔ばなし その3

阿見の昔ばなし その4

阿見の昔ばなし その5

阿見の昔ばなし その6

阿見の昔ばなし その7

阿見の昔ばなし その8

立木の明神様
立木にある蛟もう神社のことで、大房のお年寄りが深い井戸に落ちたとき、白いひげを生やしたおじいさんに抱かれて落ちたので、ケガをしなかったといい、そのおじいさんこそ明神様だという言い伝えがある。

ねねこ河童
この女河童は、関八州の河童の総元締めで多くの河童たちのうえに君臨し、利根川流域を転々としながら、女だてらに無双の暴れものとして悪名高かった。しかし、加納家の若旦那と相撲をとって負けたのを機にきっぱりと悪事から足を洗ったという。

徳満寺の子育て地蔵
徳満寺では、元禄年間(1688~1703)隆ばん(りゅうばん)和尚が地蔵堂を建立し、鎌倉時代の地蔵菩薩を御来仏した。これが俗にいう子育て地蔵で、毎年11月24日から次の日曜日まで開帳され、土・日曜日には「地蔵市」が開かれて大勢の人出で賑わう。

鶴殺しの松(涙塚)
念仏院の南に砂の丘があり、そこに大きな松が10数本あり、地元の人は、これを「鶴殺しの松」と呼んでいた。鶴殺しは、鈴木一族の娘のお雪が鶴番の役人との結婚を断ったため恨みを買って仕返しされた冤罪といわれ、処刑された一族の中には、6歳の子供もいた。その後、念仏院は、廃寺となった。

松替の梅
来見寺の庭にあった松の木を、同寺に立ち寄った徳川家康公がたいそう気に入ったので、日山和尚が江戸城に献上した。後にその返礼として、梅の木をくだされ、松の木に変わって境内に植えたので、この梅を「松替えの梅」と名付けた。それ以来、布川の別名を「松替の郷」とも言うようになったと『利根川図志』には記されている。

鎌倉街道
押戸の根本寺の裏にある山道は、「鎌倉街道」と呼ばれており、往時をしのばせています。