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【概要】
都城の昔話
都城にはいくつもの昔話が伝えられています。実際にあった事件をもとにした話やほかの地域から伝わった話、怖い話やとんちのきいた笑い話などがあり、その多くは「~そこずいの話」・「~そしこん話」・「~げな」で話がしめくくられます。
詳しくは、都城市立図書館<外部リンク>でみることができる「都城市史 別篇 民俗・文化財」・瀬戸山計佐儀「都城盆地物語」などで確認ください。
甚右衛門どんのぐず
じんにょんどん(甚右衛門どん)は体格がよかったから、鎮台検査(ちんだいけんさ・兵隊になる検査)で甲種に合格して、熊本の連隊に入った。ほかの合格者は無事に合格したことや、餞別(せんべつ)のお礼の挨拶状(あいさつじょう)をだすのに、甚右衛門どんは、二ヶ月たっても三ヶ月たっても挨拶状をよこさなかった。
それで親戚(しんせき)の人が一時帰休で帰ってきたときなじったところ、
「どうせ戻ってきてえさつすっとじゃかい(挨拶するのだから)ださんじゃったっお」と言ったげな。
甚右衛門どんは無事に一年半の兵役を終えて帰ってきた。甚右衛門どんを待ち受けていたのは結婚話であった。話はとんとん拍子に進んで、いよいよおかたもれ(花嫁もらい)の祝いがすんで、楽しい新婚の生活が始まった。
そして、三か月がたち一年がたった。夫婦二人はなかよく馬の草刈りに出かけたが、女房(にょうぼう)はすぐかごいっぱい草を刈るのに、甚右衛門どんはまだ半分も刈らんので、遠慮(えんりょ)がなくなった女房が
「なぬグズグズしちょいやしとな(何をグズグズされているんですか)。男んくせしてあたしの半分も刈れんが」と文句をいったげな。そうしたら甚右衛門どんは、
「俺も、お前の年になれば、早えこっすっとよ(早いことするよ)」
と言ったげな。甚右衛門どんは女房より一つ年下だったので、女房はグーの音もでらんじゃったげな。そして、甚右衛門どんは女房の年を追いこすことはでけんじゃったかい、一生、女房より早く仕事をすますことはでけんじゃったげな。
押したつもり
昔はみんなが貧乏(びんぼう)で、なかでも農家が多く、義務教育(ぎむきょういく)をおえるとすぐ、奉公(ほうこう)に出される者が多かった。
隣村から川一つへだてて奉公にやってきた政広どんは、利口な性格でまじめに働いていた。それをよいことにして、ある年のお盆の日に主人がよんで
「政広よ、今日はお盆でよくび(休みの日)じゃっどん、よくた(休んだ)つもいで、昨日押し残した田んぼを今日も行たっ押しちょってくれんか」と命じた。
主人の命令とあれば、ことわるわけにもいかず、政広どんは、ただ一人、だれもいない野良に草取り機をかついで行って田を押し始めた。彼は一条おきに押しては帰りして、やっと人並みに休んだ。
翌日、主人がその田んぼに行ってみると、一条おきに草取り機を押したあとがはっきりしていた。それで主人が、再び呼んでとがめたところ、政広どんは
「きぬ(昨日)、親方はよくた(休んだ)つもいで田んぼを押せち言やったから、私ゃきゅ(今日)はねっかい(全部)押したつもいで働っもした」と言った。これには主人も返す言葉はねかった(なかった)げな。